マスコミの偏向的な報道
相変わらずテレビでは東京都の舛添知事の自らに関与する都税の使い方のニュースが絶えない。
私としてもあの舛添さんが公金に対しそんな感覚だったのかと失望の感がぬぐえないが、いささかこの問題に関する報道の仕方にはうんざりする。
一般大衆が好みそうな、そして理解しやすい事件のため、公金横領、政治と金に関する一つの方向性が出たため、とことん責める。
つまりそれ以外の意見は全く報道しなくなる。
たとえば街頭インタビューで、この問題をどう思うかと聞いて、おそらくいろいろな意見が出ていると思うが、最終的にこの問題にけじめをつけてほしいとか、責任を明確に、とか都民の血税をなんと考えているとか一方向性の反応しか取り上げない。
この街頭インタビューとかいうのはまるで全員がそうかと言っているような感覚を視聴者に与える。
責める対象者が現われたら、自分はさておき責めるべき意見、要因をクローズアップし相手を攻め込む。
まるでインタビューを受けている側、発言している側は、100%正しい健全な生活をしているように振る舞いながら、全員がそうとは思わないが、本当はインタビュ−を受けている人間の方が対象者より心の欲は深く、浅ましいであろうはずなのに、
ですから本来なら、まずあなたは舛添さんに投票しましたか? 投票した場合このようになってしまったご自分の責任をどう考えますか、と責任追及の対象者はつねに自らでなければいけないと思うが、
以前私は、山手線内の某有名駅前でお店を営んでいたが、その時もこのような時、マスコミがよく取材に来た。
どう思いますか、と意見を聞かれるのだが、私が未熟にも建設的な意見を述べ、社員がマスコミが好みそうな方向的な簡単な言葉を発した時、翌日の新聞には社員の簡単なマスコミの、世間の好みそうな方向性の言葉のみがクローズアップされて紹介された。
要するにマスコミは一つの方向性を作ろうとして、意見もそれに合うものしか取り上げないのだ。
本当うんざりする。
これでは100%公平な報道などできるはずもないのだ。
そのようにして報道はみるべきなのである。