アリストテレスの言う良い社会
アリストテレスは2400年前に良い社会とは何かを論じました。
それによれば、「良い社会」とは豊かな社会でもなければ、犯罪が少ない社会でもないということです。
では、「良い社会」とはどんな社会なのでしょう?
それは徳のある者が溢れる社会のことだそうです。
徳とは内から湧き上がる力です。
自発性ではなく内発性。損得勘定で何かを選ぶのは自発性で、損得勘定を超えるものが内発性です。
徳=内から湧き上がる力は、人々の尊敬を集め、感染的模倣の輪を広げます。
そのようにして最大限の社会成員が有徳=内発的な振る舞いをするようになった社会こそが、アリストテレスのいう「良き社会」です。
これについてひとつのモデルを考えてみましょう。ある国では人々が「人を殺してはいけないこと」と皆が信じ、そう確信している社会です。ですから殺人発生率は小さいです。
別の国では監視と処罰が徹底して殺人を犯すと、大変ですから殺人発生率がやはり小さいです。
どちらが「良い社会」でしょうか、
アリストテレスに従えば、前者が後者よいも殺人発生率が高くとも「殺してはいけない」と確信するものが多い社会のほうが良い社会です。
人殺しの多寡にかかわらず、人々が内発的に良き振る舞いをしようと思っている社会こそが「良い社会」なのです。
そして「良き社会」の実現が政治の最終目的であります。
さて我が国日本ではどうでしょうか、
良き統制数値を出すために小手先の対策に終始していませんでしょうか、
良き社会を実現しようとしている有徳者は最大限の人々が有徳者になろうとする社会を実現しようとします。
そうです。内発的なのです。
自分の内から発する力です。
しかし、他国から見ればまだ我が国は、先の東日本大震災において暴動の発生率が少ないことなどを考えると、内なる力から、成り立つ社会であることは考えられますが、まだ足りません。
現在では平時においても、緊急事態のようなものですから、もっと徳のあふれる社会をつくらなければ、鉄道の人身事故や、病院の殺人的対応はなくならないでしょう、
考えてみなければいけないテーマなのです。
でも日本には別の困難があります。
ワシントンに本部のある調査機関ピューリサーチセンターによれば2007年に主要46か国で世論調査をしたところ、「国は貧困者を助けるべきか」という問いに対し、完全に同意するとほぼ同意するという回答を合わせるとほとんどの国が9割以上の数値を示すのに対し日本は59%と46か国中最下位でした。
完全に同意するという回答だけみてもほとんどの国が5割以上なのに対し、日本は15%と圧倒的最下位でした。
ようするに日本は他人の貧困に冷たい国民の集まりなのです。
江戸時代の長屋のように相互扶助が当たり前だった時代は幻だったのでしょうか、
いつからこんな他人を思いやれない社会観念になってしまったのでしょうか、
参考に最下位から二番目は米国ですが、それでも完全同意と、ほぼ同意を合わせると70%。完全同意は28%と日本のほぼ倍です。
彼の圧倒的個人主義の国でさえその数値なのです。
この事実をどう考えたらよいでしょうか?