愚かなる選択

あの恐ろしい事故、3月11日東日本大震災の後数日、14日15日の原発メルトダウンよりほぼ3年が経過しようとしていますが、早くも、この日本の中枢はその教訓を忘れ、むしろ原発推進に向かってまっしぐらと言う政策にかわってしまった。


当時の管直人政権でおそらく本人はこのままでは日本が大変なことになるという感覚を身に染みて感じてあろうが、見事?にその後の首相交代と政権交代で消え失せた。


この利権で飯を食っている者が直接、間接をあわせて、何百万人といるわけだから、半端ではない抵抗勢力であることはわかっているが、これを脱却できなければ時代はいつまでたっても変わらない。


またもや私たちは明るい未来を選択する道を間違えてしまっている。
そう、今現在間違っているのだ。
なにも抵抗できない私は悔しい。
だからせめてこのブログを通じて抗議する。






そもそも、原子力発電がクリーンだというイメージがまちがいである。


私たちは、石炭、石油など化石資源をつかうことの愚かさを教えられてきた。

もちろんそれは納得しているし、みなそうであろうと感じているだろう。


でもある重要なことがとりあえず横に置かれて考えられていないだろうか、


そう、それは核燃料を燃やした後に出る核のゴミである。


私たちはこのゴミは技術の進歩等で解決できる問題だと学校教育をはじめ専門教育、勉強を通じても刷り込まれてきたように思われる。


しかし実はこのゴミの怖さを実は全く認識していないのが、ほとんどではないでしょうか、


まさにこのゴミは地球を、生命を破壊するとんでもないゴミなのであります。


一歩取り扱いをしくじればただちにこのゴミは狂暴性を発揮します。


だからと言ってしくじらなければ大丈夫というような簡単なものでもないことが、最近ようやくわかってきました。


私たちはこの宇宙を壊す、とんでもないゴミを作り出してしまったのです。


原子力発電の方がコストが安いなどと戯言を言っている場合ではないのです。
コストの問題ではありません。
生きるか死ぬかの問題をもはるかに超え、この宇宙を壊すか、否かくらいの問題であることが認識できました。


おおきなビル火災の業火の横でちょろちょろの火を見つけ目玉焼きを焼いているようなものです。
いつ燃え盛った油の塊、電化製品の爆発があるかもわからず、焼き具合を半熟にするかどうか悩んでいるようなものです。

二酸化炭素を出さないクリーンな電力源です。などとは全く私たちを愚弄した愚かなキャッチフレーズです。
全くクリーンではありません。
その逆です。

いまこそ私たちはその認識を改めなければいけないのです。