色即是空、空即是色

仏教の有名な言葉です。

4世紀、現在の中国深部、キジル石窟鳩摩羅什という僧侶がサンスクリット語で書かれた仏典を中国語に翻訳した時の言葉です。まさに仏教の神髄を8文字に翻訳したすばらしい言葉です。


どんな物にも色が着いていますから見えます。でも空気は色が着いていないので見えません。だからお釈迦様は、見える物を「色」と呼び、見えないものを「空」と呼んだのです。でも、見える物と見えないものは同じものなのです。なぜなら、見える物は見えないものでできているからです。しかしそうはいっても、なかなか一般人に理解してもうことができない、そこでお釈迦様は分かりやすく、色の着いた物を「色」と表現し、無色透明なものを「空」と表現したわけです。お釈迦様は、実にうまい表現をされたものと思います。
さて形ある見える物の背後には、必ず形作っている本質があります。その本質は見えないのです。その見えない本質のことを、現代人は原子と呼び、お釈迦様は空と呼んだわけです。
原子は見えません。その見えない原子が、見えるすべての物を生み出しているのです。だから、人間も万象万物も空です。原子です。原子が分子化し、様々な形に化身したのです。すなわち、「空」が様々な「色」に化身したのです。その空も原子も生命の別名ですから、この表現の世界は物質の世界であると同時に、生命の世界(空の世界)でもあるのです。その生命が様々な色を着け形を取って、表現の世界に出てきたのです。色も形も様々ですが、その中身はみな同じ生命なのです。だから人間も万象万物も生命です。





以下仏教の教えより写しを書かせていただきます。


『その生命は、この宇宙にたった一つしかありません。ということは、あなたは私ではありませんか?。万象万物は私ではありませんか?。だからお釈迦様は、「他人を自分の如く愛しなさい!、すべての物を自分の如く愛しなさい!」といわれたのです。一つしか無いということは、私しかいないということですから、私が他人を愛し、私が万象万物を愛するのは当然ではありませんか?
さあ今日から、何を見ても、何を聞いても、何を味わっても、何を嗅いでも、何を触っても、私と思って下さい。
愛を育むコツは、「色即是空・空即是色」を正しく理解することです。すべての物は、「空(生命)から生まれた兄弟姉妹なのですよ!」ということを理解することです。
もうひとつ、お釈迦様は「この世は無常の世界である」ともいっておられます。無常の世界とは、常ならぬ世界、変化する世界、すなわち幻の世界という意味です。形ある物は、みな消えて無くなってしまうからです。「色褪せる」という言葉がありますが、「色」つまり「物質」は「褪せ」てしまうものなのですよ!、無常なるものなのですよ!、消えて無くなるものなのですよ!、といっているわけです。だから「色」は、つまり物質は、実在するものではないのです。
この宇宙には、無いものを有るように見せかけるカラクリと、一つのものしか無いのに沢山の物があるように見せかける、二つのカラクリがあります。私達はこの二つのカラクリに騙され、様々な苦しみや悲しみを作ってきました。この二つのカラクリを見破らない限り、私達に真の幸せは無いのです。では、その見破るコツを教えましょう。
一つ目のカラクリを見破るコツは、本当にあるものは私達の感覚にかからないものである。すなわち、すべての物は一つの見えない本質(生命・理念)によって創造され、一つの見えない本質によって生かされ、働かされているという真実を知ることです。
• 物質があるといいますが、本当にあるのは物質では無く、原子という本質です。原子は見えません。
• 人間がいるといいますが、本当にいるのは人間では無く、生命という本質です。生命は見えません。
もし物質が本当にあるなら、物質から原子を差し引いても物質は残らなくてはなりませんが、物質から原子を差し引いたら物質は無くなってしまうのです。もし人間が本当にいるなら、人間から生命を差し引いても人間は残らなくてはなりませんが、人間から生命を差し引いたら人間は無くなってしまうのです。無くなるということは、物質も、人間も、本当に存在していないからです。私達は外形に惑わされ、本当にある本質を見失っているのです。
二つ目のカラクリを見破るコツは、この宇宙には一なる理念の主(生命)しか存在しないという真実を知ることです。その一なる理念の主が万象万物を創造し、万象万物の中で生きて働いているのです。なぜ理念の主が万象万物を創造し、万象万物の中で生きて働けるのかといいますと、理念の主イコール本質(素材)だからです。ならば理念の主は、私そのものではありませんか?。私は、理念の主そのものではありませんか?。なぜなら、一つしか無い本質(生命・理念の主)が私の生みの親だからです。このことを前提に考えれば、次のような論理が成り立つはずです。
「理念の主である私が認めることによって、物が、世界が、宇宙が、創造される」という論理です。
理由はこうです。
私が認めることによって物が創造されるという意味は、私は宇宙を創造している本質(素材)そのものですから、私がその物を認めれば、素材である私が即その物となり、その物の中に居ることになるのです。私が認めた物の中には必ず私が居るということ、つまり素材である私が居るということです。認めた私は素材そのものですから、認めた途端に素材である私が即その物になるわけです。私が物を認識するには、私がその物となってその物の中に居なくてはその物は有り得ないわけですから、認識できるわけがないということです。これが「神が物を創造する場合、神自らがその物になるしかない!」、といわれる理由です。
私が宇宙を認めたから、宇宙は存在するのです。私が宇宙を認識する限りにおいて、素材である私が宇宙そのものとなっていなくては、宇宙を認識することができないのです。要するに、そこに物が、世界が、宇宙が、存在するということは、私がその物を、その世界を、その宇宙を認めたということです。認めたということは、素材である私が、その物となって、その世界となって、その宇宙となって、そこに居るという意味です。だから物は、世界は、宇宙は、私の意識が創造しているといえるのです。意識そのものが、生命そのものであり、素材そのものであり、私そのものだからです。意識そのものが、物質そのものであり、世界そのものであり、宇宙そのものだからです。
認めている私と、認められている私は同じ私なのです。見ている私と、見られている私は同じ私なのです。私が人間を認めているということは、人間は私であるということです。認めている私は、認められている人間そのものだからです。認められている人間は、認めている私そのものだからです。私が生命を認めているということは、生命は私であるということです。認めている私は、認められている生命そのものだからです。認められている生命は、認めている私そのものだからです。
一なるものが、二にも三にもなることはないのです。一なるものは、どこまでも一なるものです。宇宙に一なる素材(生命)しか無いという絶対真理は、私しかいない、私の世界しか無い、私の宇宙しか無い、つまり「天上天下唯我独存(尊)」を意味しているのです。すべてを一なる目で見ることができたら、天下天上唯我独存の意味が理解でき、二つのカラクリを見破ることができるでしょう。
宇宙のカラクリで一番惑わされやすいのは、一を多に見せかける巧妙なトリックですが、物の本質を一つとして見ることができれば、このトリックを見破ることができるのです。本当は一つのものしか無いのに、沢山の物があるように見せかける巧妙なトリックが、本当の自分を見失わせてきたのです。騙されてはなりません。どんなに沢山の物があるように見えても、それはみな一つのもの(本質・生命)から生まれたのです。その一つのものが私ですから、私の外に何も無いということです。
存在とは、存在の心です。存在させている意識です。私という意識です。その意識は、本質であり、生命です。その私という意識は宇宙に一つしかないわけですから、すべての物は私の意識によって存在させられているといえるのです。何を見ても、何を感じても、みな私の意識の現れであると心から思えたら、もうこのカラクリに騙されることは無いでしょう。
「物が、世界が、宇宙が」有って自分が有るのではありません。自分が有って、「物が、世界が、宇宙が」有るのです。なぜなら、「物は、世界は、宇宙は、」自分の意識が創っているからです。


自分が消えて無くなってしまうなら、どうして悟る必要があるでしょう?。
永遠に無くならない自分だからこそ、悟る必要があるのです。』



最後までお読みいただきありがとうございました。




本日この仏教の教えを解かせていただきましたのはこれから世の中のバランスの仕組み、そして、ピラミッドの仕組みをテーマに上げようと思っておりますが、そのイントロダクションです。
この色即是空、空即是色はまだはじまりです。

この世の幸せとはお金を得ることではなく、会社での地位や、世間での名誉を得ることでもなく、この世の仕組みを理解することであることがわかれば生き方がだいぶ楽になるはずです。
それを未熟ながらお話ししていこうかと思います。



ついてきてください。

一緒に理解していきましょう。